2018年9月24日月曜日

日本史 建国神話① 

・始めに現れた神

 我が国の歴史書『古事記』,『日本書紀』などが伝える古代の歴史は,前半において神話を伝えており,神話の時代に国土が形成されるなどして日本の基礎が形作られたとしている。
 日本の神話をもとにした信仰,宗教は原則いわゆる“多神教”の類に該当する。つまり多くの神が日本神話に登場する。そして,その中には当然ながら“最初に現れた神”が存在する。
 初めに現れた神は史料によって異なるが,『古事記』ではアメノミナカヌシ,『日本書紀』ではクニノトコタチということになっている。

・アメノミナカヌシ

 『古事記』における最初に現れた神はアメノミナカヌシである。この神が現れた時は,天と地が初めて別れた時であるという。
 そもそも,日本神話によれば天と地は始め一つの物体であった。そこから分かれて天と地が形成されたのである。
 『日本書紀』によれば,天地が一体となっていた物質から,まず澄んで明らかなものが上に昇ってゆき天となった。そして,重くて濁ったものが下に沈殿してゆき大地になったということが読み取れる。
 また,この書によれば,その重く濁ったものが固まりにくくて大地が形成されるまで時間がかかったために,まず空が形成されてその後に大地が形成されたようだ。
 このように天と大地とがもともと一つであり,後に分かれて形成されたという内容は,中国の古代神話に似たような内容のものが見られるため,その影響を受けたものであると考えられる。(『古事記』編纂が開始したとされる天武天皇の時代には,中国で勉強する留学生が派遣されていたことがわかる。国土形成の場面はこの時に加えられたものと考えることもできる。)

 さて,この天地開闢の場面において登場した神アメノミナカヌシであるが,彼は日本の国土に降り立ったのではないらしいことが分かる。そもそも,日本神話における日本の国土は,後に現れるイザナミとイザナミによって生まれたものであるとされる。
 それでは彼はどこに現れたのか。それが高天原(たかまのはら)という場所である。高天原というのは特定の神々が住んでいる場所として解釈されることが多い。また,史料が伝える内容によれば,おそらく高天原は陸地や海にあるものではなく天空にあるものらしいことがわかる。

 たとえば,『日本書紀』一書による内容に,国土創世中のイザナギにオオヒルメ(アマテラス)が生まれた際に,彼女の優れた容貌を見て,早急に高天原に届けるという場面がある。その時,イザナギが天の柱を登って天に送り届けたのだ。この内容からもおそらく高天原は天空にあるということが覗えるだろう。また,『古事記伝』には,高天原は天そのものを表すという内容がある。

 さて,話をアメノミナカヌシに戻す。『古事記』によるとこの神の後に二柱の神が生まれた。以下,『古事記』における最初に現れた三柱の神を示す。

①アメノミナカヌシ
②タカビムスビ
③カミムスビ

 これら三柱の神に共通する点がある。それは,“独神(ひとりがみ)”であるということ。そして,すぐに“身を隠した”ということである。

 『古事記伝』の内容をもとにすると,独神とは一柱づつ生まれ,他に並ぶものがいない神のことを指すという。この言葉は,後に生まれる神が持つ,男女のペアで生まれるという共通の特徴に対する言葉であるといえる。また,同書は独神を“兄妹がいない子を一人っ子という”が如しであると伝えている。
 
 また,“身を隠す”ということについて。これらの神は,いずれも何をしたかこの場面では書かれていない。ただ,“身を隠した”とだけ『古事記』が伝えるだけである。
 しかも,アメノミナカヌシが登場するのはこの場面だけなので,それが“身を隠す”以外何をした神なのか分からないのである。
 アメノミナカヌシについて何か手がかりはないだろうか。これについてはまた後で触れたいが,まず“身を隠す”ということについて述べたい。

 “身を隠す”とは,おそらく“亡くなった”ということを示しているではないと思われる。何故なら,後に出てくるアマテラスとカミムスビが相談する場面があるなど,同じ“身を隠した”神の登場する場面が後にいくつかあるからだ。
 (しかしながら,本当に亡くなった神とされるイザナミもその死後に登場する場面があるので,断定は難しい。日本では亡くなった後,魂のみとなって残り続けるという思想はあり,それは生ける者の前に姿を現し,交流できるという思想は古代からあったと思われる。)
 『古事記伝』によるとこの“身を隠す”というのは,その体を隠して姿を現さなくなったという意味であるとする。つまり,“亡くなった”意味ではなさそうである。しかし,やはり姿を隠したアメノミナカヌシが再び姿を現した記述は『古事記』,『日本書紀』の中には無く,結果,現在もそれは謎の神のままである。

 ところで,その謎の神アメノミナカヌシの姿に迫ろうとして,その手がかりを探すものは多くいると思う。
 平安時代の歴史書である『日本後記』によると,アメノミナカヌシに関して誤った記述があるという理由で,かつて平安時代処分された書物があったという。その書物の名前は『倭漢惣歴帝譜図(わかんそうれきていふず)』である。
 『日本後記』の大同四年(804年,天皇は平城天皇)の記述によれば,この『倭漢惣歴帝譜図』を所蔵している官人らに,それをすべて提出させる勅令が下された。また,これに従わない者は,すべて重刑に処されるとした。
 天皇自ら焚書の命令が下るという異例の事態となったこの事件であるが,一体この書におけるどのような内容がこれを引き起こしたのであろうか。

 『倭漢惣歴帝譜図』には,アメノミナカヌシが,魯王,呉王,高麗王(高句麗王),そして漢の劉邦の祖先であるという記述があったようである。魯,呉,漢はいずれも中国にかつてあった国の名前であり,高句麗は朝鮮半島にあった国である。つまり,日本の神の系図が他国の系図と入り混じっているという理由でこの書物は処分されたのである。また,多くのものがこれを実録と信じていたようである。
 もともと,この書に書かれていたことが古代から伝えられていたことであったかどうかはわからないが,もしそうならばあえて『日本後記』に残ることはないだろうと思う。この書に関しては多くの謎が残る。
 だが,アメノミナカヌシに関する情報が少しでもある史料が魅力的であることも確かである。多くの人がこの書に惹かれた理由は,そこにあるのかもしれない。


・クニノトコタチ

 『日本書紀』における最初に現れた神,クニノトコタチは天地が分かれ,大地が形成された後生まれたとされる。
 この書によれば,天地が開けて間もない頃は国土が浮き漂っている状態で,それはまるで水面すれすれを泳ぐ魚のようだったという。そのような地と天の間にあるものが生じた。それの形はまるで葦(あし)の芽のようであったという。そして,それがやがて神になった,クニノトコタチである。

 『古事記』にある“独神”は男性なのか女性なのか分からないが,『日本書紀』本文によるとクニノトコタチ(他,クニノサツチ,トヨクムネ三柱の神)は完全な陽気を受けた神で,純粋な男性神であるとある。
 この“陽気”というのは,古代中国から伝わる“陰陽説”における考え方であろう。陰と陽は自然界を支配する二つの成すものである。陰の特徴はよく“静”や“柔”などと表現される。また,陽の特徴はそれに反して“動”や“剛”などと表現される。
 例えば陰のとされるものには,地,月,女,夜,卑などがある。また,これに対して陽とされるものとしては天,日,男,昼,そして貴などがある。

 ここで少し話は変わるが,『日本書紀』には,他の書物から引用したと思われる説を多く記載している。これらは“一書”の説として列挙され,具体的にどのような名前の書物からの引用なのかは明らかではない。さらに,この“一書”の説が挙げられるのは神話時代の章のみであり,既にこの時には神話に関する内容に諸説あったようである。ということは,この神話の原型が作られたのは『日本書紀』編纂よりも前のことではないかということが推測できる。
 『古語拾遺(こごしゅうい)』には,まだ文字がない頃に人々が口で古い歴史を伝えて忘れることは無かったが,文字を書くようになってからは古き時代を語ることは無くなったと読める部分がる。
 この書などを見ると,神話の原型は文字の無い時代に作られ,はじめは口で伝えられていたことが想像できるが,其れゆえに伝えられる過程で様々に変化して,文字で残される頃には諸説現れるようになったのではないかと思う。

 さて,最初に生まれた神に関する記述が『日本書紀』一書の説が割と多く挙げられている。これは『日本書紀』の製作段階で,すでに起源神に関する記述が多くあったことを示すが,やはりその多くはクニノトコタチを始めに現れた神とする。このことから,クニノトコタチが起源神とする説が昔から多くあったようだ。

 そして,この神は『古事記』にも登場する。しかし,初めに現れた神ではない。前述したとおり,『古事記』における最初の神はアメノミナカヌシである。
 この書におけるクニノトコタチの立場は,6番目に現れた神であり,“神代七代(かみよななよ)”における最初に神である。
 “神代七代”とは,6番目に現れたクニノトコタチから17番目に生まれたイザナミまでの計12柱の神の総称である。それらを以下に列挙したい。

①クニノトコタチ
②トヨクモ
③ウヒヂ二,スヒジニ(女神)
④ツノグヒ,イクグヒ(女神)
⑤オホトノヂ,オホトノベ(女神)
⑥オモダル,アヤカシコネ(女神)
⑦イザナギ,イザナミ(女神)

 
・バンコ(盤古)

 さて,ここで少し話が変わるが,中国神話には天地開闢の神であるバンコ(盤古)というものが存在する。この神の記述は古代中国の資料に断片的に残っており,おそらく日本神話における天地開闢の場面に影響を与えているのではと考えられる。以下,バンコに関する世界の始まりの話を簡単に記す。

 バンコが生まれたのは天と地がまだ離れていなかった時である。そこから1万8000年経つと天と地が分離し始めた。重いものは下に固まって地となり,軽いものは天となった。
 というのも,バンコは天と地の間に存在しており1日に1丈背丈が伸びていたので,バンコの頭に押し上げられて天が地から引き離されていたのである。
 

 このように,天と地がはじめ一つの物体であり,そこから分離してそれぞれが形成されたという点は,日本神話における天地開闢の場面とよく似ている。
 バンコのことを伝える最も古い資料は『三五歴記』(3世紀頃)と言われ,『古事記』や『日本書紀』の編纂が始まったとされる天武天皇の時代よりは古い。

ー以下,作成中ー