黄泉国とは,日本神話に登場する異界の一つで,死後の世界と考えられている。死後の世界として考えられているものはもうひとつ,常世国(とこよのくに)というものが登場するが,両者のイメージは全く違う。
常世国は極楽のような美しい場所とされる一方で,黄泉国は,暗く恐ろしいものと認識されているのである。イザナギはイザナミの死後,黄泉の国を訪れることになった。その理由は,亡くなった妻に会うためである。
ここからは『古事記』の内容を示す。
黄泉国に行ったイザナギは,ついにイザナミがいる御殿の前に到着した。そして彼は,妻に「私とあなたで作った国はまだ完成にいたっていないので,一緒に帰ろうではないか。」と言った。 すると,閉ざされた門の奥からイザナミの声が返ってきた。「残念です。私はすでにこの国の食べ物を食べてしまったので…。もっと早く来てくれればよかったのですが。しかし,私自身も帰りたいと思うので,黄泉の国の神々と相談してまいります。その間,絶対に私の姿を見ないようにしてください。」
そこで,イザナギは妻を待つことにした。しかし,いつまで経ってもイザナミは彼の前に姿を現さなかった。ついに待てなくなったイザナギは,自分の髪に挿していた櫛を取り出して火をともした。これで,御殿の中に下がっていったイザナミの姿を照らそうとしたのである。
が,彼の火が照らし出したのは,美しいかつての妻の姿ではなく,醜い姿に変貌してしまったイザナミの姿であった。彼女の体からは蛆(うじ)がたかっており,体中から雷の神々が成り出ていた。イザナミは,おそらく,黄泉の国のものを食べてしまったので,このような姿になったのだろう。また,この時,イザナミから成り出ていた雷の神は以下のとおりである。
①オオイカヅチ(頭部)
②ホノイカヅチ(胸部)
③クロイカヅチ(腹部)
④サクイカヅチ(陰部)
⑤ワカイカヅチ(左手)
⑥ツチイカヅチ(右手)
⑦ナルイカヅチ(右足)
⑧フスイカヅチ(左手)
この姿を見たイザナギは,驚いて逃げ帰った。しかし,イザナミは「お前は私に恥をかかせたな!」と叫び,黄泉の国の醜女(しこめ)にその後を追わせた。
イザナギは,醜女が追ってくるのを見て,髪に付けていた黒い鬘(かずら)を道に投げ捨てた。すると,その鬘が落ちた場所からたちまち山葡萄の実が成った。醜女はその葡萄を見ると,拾ってむさぼり始めた。
これで時間を稼いだイザナミだが,彼が振り返るとまだ醜女はしぶとく追いかけて来るのが見えた。そこで,今度は彼が髪に挿している櫛を取って道に投げ捨てた。
すると,櫛が落ちた場所から筍(たけのこ)が生えてきた。醜女がそれにむさぼりついている隙に,またイザナギは逃げた。こうして,彼はついに醜女から逃げ切ることが出来たのである。
『日本書紀』では,この醜女が冥界に住んでいる八人の鬼女であったとし,あるいはヨモツヒサメという名前であったとする。
また,同書はイザナギが醜女から逃げる際,意外な方法をとっていたことを伝えている。その方法は,小便を大樹にかけて川を作るというものだ。
彼はこの方法で醜女の進路を妨げようとしたというのだろうか。また,この川を醜女が渡ろうと悩んでいる間に,すでにイザナギは後述する黄泉比良坂(黄泉の国と現実世界の境界とされる場所)に到着していたと伝えられる。
さて,話を『古事記』に戻す。このように醜女を振り切ったイザナギだが,次にイザナミは自身から成り出た8種の雷神に1500人の軍勢を従わせて,イザナギの後を追わせた。イザナギはこの時,持っている剣を抜き,それを後ろ手に振りながら逃げ続けた。
そして,黄泉の国との国境,黄泉比良坂(よもつひらさか)のふもとまでやってきた。そこに実っていた桃の実を三つとり,追ってくる軍勢を待ち伏せた。そして,軍勢に向かってそれらの桃を投げつけたところ,黄泉の国の軍勢は退散した。この時代,桃には邪気を払う力があったと考えらえていたのだろうか。
最後に,イザナミ自身が追いかけてきた。イザナミはこの事があってから,後に二つの異名を得ることになる。一つ目はヨモツオオカミ(黄泉津大神),そしてもう一つはチシキノオオカミ(道敷大神)である。
チシキノオオカミという名前は,イザナミが男の神(イザナギ)にたどり着いたためにつけられた。
そして,イザナミがこちらにやってくるのを見たイザナギは,大きな岩を黄泉比良坂に引いて彼女がこちらに来れないようにした。
そして,二柱の神々はこの岩を挟んで向かい合い,夫婦が離婚するときに述べる言葉を交わした。だが,この時,イザナミは突然,「愛しい私の夫がそのようなことをするなら,私はあなたの国の民を1日千人絞め殺してやります。」と言った。
これに対し,イザナギは「愛しい我が妻よ。もしあなたがそうするなら,一日千五百人の産屋をたてよう。」と言った。このことがあってから,我が国で一日千人が亡くなり,千五百人が生まれるようになった。
ここで,黄泉比良坂について少し述べておきたい。『古事記』の示す黄泉比良坂は,出雲国のイフヤ坂(伊賦夜坂)という場所である。
では,イフヤ坂とはどこか。 『出雲国風土記』には,イフヤ神社(伊布夜神社)というのがかつてあったことが記されているが,イフヤ坂はこの神社の近くにあったのではないかと考えられている。
ちなみに,今日,島根県八束郡にある揖夜神社(いやじんじゃ)が,このイフヤ神社に当たるとされる。そして,この神社の近くに黄泉比良坂だとされる場所もある。そこには黄泉国と現世の境にイザナギが引いたとされる岩がある。
だが,他にも説がある。『日本書紀』によると,黄泉津平坂というのは地名ではなく,人が死に近い時のことを表しているという。