・イザナギの身に付けていた者から成った神々
さて,黄泉国から帰還したイザナギは黄泉の穢れを払うために川で身を清めるという場面がある。
そして,イザナミとは既に決裂したイザナギだが,この場面でも数多くの神が生まれることになる。
ここで生まれたのは彼単独で生んだのではなく,自ら成り出ることで生まれたと解釈されることが多い。
『古事記』によると,イザナギが身に付けていたものが彼の体を離れることで生まれた神が合わせて八柱,そして,彼が川に身を沈めることで生まれた神が合わせて十一柱である。
それではまず,彼が身につけていたものから成り出た神々を以下に列挙する。(『古事記』の内容による。)
①杖:ツキタツフナト
②帯:ミチノナガチハ
③袋:トキハカシ
④衣:ワズライノウシ
⑤袴:チマタ
⑥冠:アキグイノウシ
⑦左手の腕輪:オキザカル,オキツナギサビコ,オキツカヒベラ
⑧右手の腕輪:ヘザカル,ヘツナギサビコ,ヘツカヒベラ
基本的に,『古事記』には,神々がどのような格好をしていたかを示す文が少ない。しかし,この内容を見てみると,彼(イザナギ)が,帯や袴を身に付け,杖を手にし,冠をいただいていたという具体的な風貌が想像できる。
ところで,これら十二柱の神についてだが,これらはいずれも広く知られている存在ではないだろう。実際,『古事記』にはこれらの神についての情報は名前以外記されておらず,その名前から個々の役割が推測されるにとどまっている。
以下,それらの神の造形を推測する手がかりとなり得る情報を列挙する。(主に,『古事記伝』参考)
①ツキタツフナト(ノカミ)
『古事記伝』によると,この神は,“これより来てはならない”と侵入を妨げる場所に座す神であるという。(ここでは,黄泉国の穢れによる侵入を妨げるものであろう。)
『日本書紀』一書によると,イザナギが黄泉の雷神ら追手から逃れる際に杖を投げて,「これより来てはならない。」と言った。そしてこれがフナドノカミ(岐神)という。などという内容の記述がある。
この『日本書紀』一書におけるフナドノカミの記述は,『古事記』のツキタツフナトとのものととても似ている。(両者は,イザナギが投げた杖から成り,フナト,フナドという名前の類似点がある。)おそらくこれらの神は同一のものを表しているといえるだろう。
そして“フナド”とは“物を突き立てて,これより先に侵入してはならない”という意味の名前であるという『古事記伝』の説は,この『日本書紀』にその根拠を見出している。
また,ツキタツフナトは漢字で書くと“衝立船戸神”となり,この“戸”というのは所(ところ)という意味であるという。したがって,この神は,これより先に来てはならないと侵入を妨げる場所に座す神という結論に至ったのである。
ところで,日本では古くから,集落の境に御神体として石または石像を置き,悪しき物の侵入を防ぐという風習が存在した。これらは道祖神(どうそしん)や塞神(さえのかみ)と呼ばれる。
『古事記伝』によると,ツキタツフナトは『口決纂流』という資料などによれば道祖神であるとされ,また,『和名抄』によれば道祖神は塞神であるという。つまり,ツキタツフナドは道祖神と塞神と同一であることがここからうかがえる。
②トキハカシ
トキハカシは漢字で書くと,“時置師神”である。一見すると,時間に関する神,または時計に似た形をした神などが容易に想像され得る。
しかしながら,『古事記』が編纂されたのは奈良時代初期。それ以前の時代に,時間という概念は我が国に浸透していたのだろうか。また,時計などという便利な物が古代日本に存在したのだろうか。トキハカシという神はこの名前のみを『古事記』に残し,それ以外は何も語らないのである。
だが,他の資料から可能な限りアプローチを試みたい。『日本書紀』によれば,斉明天皇6年(660年,飛鳥時代),中大兄皇子が漏刻(ろうこく),つまり水時計を制作し,人民に時を知らせることにした,とある。
この記述は,日本における時計を表す資料として最も古いものである。すなわち,この内容を信じるならば,すでに古代日本には時計が存在しており,したがって時間の概念も存在することになる。だから,時を神格化した神が日本神話に存在していても不思議ではないといえるだろう。
だが,『古事記伝』はこの神について,時間とは全く異なる見解を示している。そもそも,ここでいう時(とき)という字は解き(とき)という意味であるというのだ。
“解く”というのは,もともときつく縛ってあるものを解きほぐす意味である。また,この神はイザナギが身に付けていた袋から成り出た神である。
よって,この神の名は,“(イザナギが袋を)解き置いた”という意味にすぎないのであるという。すなわち単に身に縛って携帯していた袋を外してどこかに置いたという意の名前ということになる。『古事記伝』にはこの神について,時間との関連性には一切触れていない。
③ワズライノウシ
この神については,とても明快な答えが出されている。煩い(わずらい)の神であるということだ。今日,“煩い”とは“心の病”という意味で使われることが一般的である。また,『古事記伝』によれば“煩い”とは“物に障り滞る”という意であるとし,いずれにせよ人にまとわりつく悪しきものである意である。
そして,ワズライノウシの“ウシ”とは“主”という意味であるとされ,この神が“煩いの主”であるということになる。
この神はイザナギの身から解き放たれた衣から生まれたわけだが,これまでの彼が身に付けていたものから成り出た神とは大きく違ったイメージを持つ神である。何故,衣から生まれた神だけがこのように悪いイメージの名前がついているのか。
『古事記伝』によれば,穢れた衣を脱ぎ捨てることが,煩わしいことから心が解放されてこころがさわやかになる感覚に似ていることが,強いて言うならばその理由ではないかとしている。
④アキグイノウシ
『古事記』によるとこの神はイザナギの冠から成り出た神であるが,『日本書紀』によればイザナギの袴から成り出た神であるとされる。また,『古事記』では“飽咋之宇斯能神”,『日本書紀』では“開囓神”と表記される。
『古事記伝』は冠と袴の共通点からこの神の名前の意味を推測した。つまり,誰も身に付けていない冠も袴もまるで大きな口が“開(あ)いた”ような様子であり,それがアキグイノウシの“アキ(飽)”が示す意味であるという。
また,アキグイノウシの“グイ=クイ(咋)”の示すところは,“クチ”という発音が変化したものではないかとする。もともとこの“咋”という字は“口”という字に由来するものであるという。『古事記伝』におけるこの説は,つまり“クイ”が“クチ(口)”であることを示しているといえるだろう。
これらのことから口を開けたこの神の姿が想像できる。“ウシ(宇斯)”についてはワズライノウシなどの神と同じく“主”の意味であろう。
⑤オキザカル,オキツナギサビコ,オキツカヒベラ,ヘザカル,ヘツナギサビコ,ヘツカヒベラ
これら六柱の神は,イザナギが身に付けていた左右の腕輪から成り出た神々で,三柱で対を成している。左の腕輪から成り出た神(オキザカル,オキツナギサビコ,オキツカヒベラ)に共通しているのが“オキ”という言葉であり,これを漢字で示すと“奥”である。また,右の腕輪から成り出た神(ヘザカル,ヘツナギサビコ,ヘツカヒベラ)に共通しているのが“へ”という言葉であり,これを漢字で示すと“邊=辺”である。
『古事記伝』によれば,この“奥”という字が“海の奥”を示しており,“邊”という字は“海辺”を表しているという。“海の奥”と“海辺”はついに向かい合っているように,これらの神が対を成しているということであろうか。
また,これらの神は左右の腕輪から成り出ているが,古代において“左”と“右”の概念そのものに優劣的なものがあったらしいことが『古事記伝』の説に挙げられている。当然ながら,今日において“左”と“右”のどちらがより重要な意味を持つかなどを特別意識される例は少ない。
そして,その説は“左は特に重視される”ということを示唆している。古代の詩集『万葉集』の歌にも,左が右よりも重要視されていた可能性を見出せる例があるという。また,その詩によれば,左手を“奥手”と表現しており,左の腕輪から生まれた神々に“奥”の字があてられている今回の状況に類似点があるように思える。
①ツキタツフナト(ノカミ)
『古事記伝』によると,この神は,“これより来てはならない”と侵入を妨げる場所に座す神であるという。(ここでは,黄泉国の穢れによる侵入を妨げるものであろう。)
『日本書紀』一書によると,イザナギが黄泉の雷神ら追手から逃れる際に杖を投げて,「これより来てはならない。」と言った。そしてこれがフナドノカミ(岐神)という。などという内容の記述がある。
この『日本書紀』一書におけるフナドノカミの記述は,『古事記』のツキタツフナトとのものととても似ている。(両者は,イザナギが投げた杖から成り,フナト,フナドという名前の類似点がある。)おそらくこれらの神は同一のものを表しているといえるだろう。
そして“フナド”とは“物を突き立てて,これより先に侵入してはならない”という意味の名前であるという『古事記伝』の説は,この『日本書紀』にその根拠を見出している。
また,ツキタツフナトは漢字で書くと“衝立船戸神”となり,この“戸”というのは所(ところ)という意味であるという。したがって,この神は,これより先に来てはならないと侵入を妨げる場所に座す神という結論に至ったのである。
ところで,日本では古くから,集落の境に御神体として石または石像を置き,悪しき物の侵入を防ぐという風習が存在した。これらは道祖神(どうそしん)や塞神(さえのかみ)と呼ばれる。
『古事記伝』によると,ツキタツフナトは『口決纂流』という資料などによれば道祖神であるとされ,また,『和名抄』によれば道祖神は塞神であるという。つまり,ツキタツフナドは道祖神と塞神と同一であることがここからうかがえる。
②トキハカシ
トキハカシは漢字で書くと,“時置師神”である。一見すると,時間に関する神,または時計に似た形をした神などが容易に想像され得る。
しかしながら,『古事記』が編纂されたのは奈良時代初期。それ以前の時代に,時間という概念は我が国に浸透していたのだろうか。また,時計などという便利な物が古代日本に存在したのだろうか。トキハカシという神はこの名前のみを『古事記』に残し,それ以外は何も語らないのである。
だが,他の資料から可能な限りアプローチを試みたい。『日本書紀』によれば,斉明天皇6年(660年,飛鳥時代),中大兄皇子が漏刻(ろうこく),つまり水時計を制作し,人民に時を知らせることにした,とある。
この記述は,日本における時計を表す資料として最も古いものである。すなわち,この内容を信じるならば,すでに古代日本には時計が存在しており,したがって時間の概念も存在することになる。だから,時を神格化した神が日本神話に存在していても不思議ではないといえるだろう。
だが,『古事記伝』はこの神について,時間とは全く異なる見解を示している。そもそも,ここでいう時(とき)という字は解き(とき)という意味であるというのだ。
“解く”というのは,もともときつく縛ってあるものを解きほぐす意味である。また,この神はイザナギが身に付けていた袋から成り出た神である。
よって,この神の名は,“(イザナギが袋を)解き置いた”という意味にすぎないのであるという。すなわち単に身に縛って携帯していた袋を外してどこかに置いたという意の名前ということになる。『古事記伝』にはこの神について,時間との関連性には一切触れていない。
③ワズライノウシ
この神については,とても明快な答えが出されている。煩い(わずらい)の神であるということだ。今日,“煩い”とは“心の病”という意味で使われることが一般的である。また,『古事記伝』によれば“煩い”とは“物に障り滞る”という意であるとし,いずれにせよ人にまとわりつく悪しきものである意である。
そして,ワズライノウシの“ウシ”とは“主”という意味であるとされ,この神が“煩いの主”であるということになる。
この神はイザナギの身から解き放たれた衣から生まれたわけだが,これまでの彼が身に付けていたものから成り出た神とは大きく違ったイメージを持つ神である。何故,衣から生まれた神だけがこのように悪いイメージの名前がついているのか。
『古事記伝』によれば,穢れた衣を脱ぎ捨てることが,煩わしいことから心が解放されてこころがさわやかになる感覚に似ていることが,強いて言うならばその理由ではないかとしている。
④アキグイノウシ
『古事記』によるとこの神はイザナギの冠から成り出た神であるが,『日本書紀』によればイザナギの袴から成り出た神であるとされる。また,『古事記』では“飽咋之宇斯能神”,『日本書紀』では“開囓神”と表記される。
『古事記伝』は冠と袴の共通点からこの神の名前の意味を推測した。つまり,誰も身に付けていない冠も袴もまるで大きな口が“開(あ)いた”ような様子であり,それがアキグイノウシの“アキ(飽)”が示す意味であるという。
また,アキグイノウシの“グイ=クイ(咋)”の示すところは,“クチ”という発音が変化したものではないかとする。もともとこの“咋”という字は“口”という字に由来するものであるという。『古事記伝』におけるこの説は,つまり“クイ”が“クチ(口)”であることを示しているといえるだろう。
これらのことから口を開けたこの神の姿が想像できる。“ウシ(宇斯)”についてはワズライノウシなどの神と同じく“主”の意味であろう。
⑤オキザカル,オキツナギサビコ,オキツカヒベラ,ヘザカル,ヘツナギサビコ,ヘツカヒベラ
これら六柱の神は,イザナギが身に付けていた左右の腕輪から成り出た神々で,三柱で対を成している。左の腕輪から成り出た神(オキザカル,オキツナギサビコ,オキツカヒベラ)に共通しているのが“オキ”という言葉であり,これを漢字で示すと“奥”である。また,右の腕輪から成り出た神(ヘザカル,ヘツナギサビコ,ヘツカヒベラ)に共通しているのが“へ”という言葉であり,これを漢字で示すと“邊=辺”である。
『古事記伝』によれば,この“奥”という字が“海の奥”を示しており,“邊”という字は“海辺”を表しているという。“海の奥”と“海辺”はついに向かい合っているように,これらの神が対を成しているということであろうか。
また,これらの神は左右の腕輪から成り出ているが,古代において“左”と“右”の概念そのものに優劣的なものがあったらしいことが『古事記伝』の説に挙げられている。当然ながら,今日において“左”と“右”のどちらがより重要な意味を持つかなどを特別意識される例は少ない。
そして,その説は“左は特に重視される”ということを示唆している。古代の詩集『万葉集』の歌にも,左が右よりも重要視されていた可能性を見出せる例があるという。また,その詩によれば,左手を“奥手”と表現しており,左の腕輪から生まれた神々に“奥”の字があてられている今回の状況に類似点があるように思える。
・身を清めることで生まれた神 ヤソマガツヒからイズノメ
さて,次にイザナギが身を清めた際に生まれた十一柱の神を挙げてゆく。(『古事記』による)
イザナギはまず,体を清める際に身に付けていたものを外し,その際にいくつかの神が生まれ,それらはすでに上記に列挙された。
そしてその後,イザナギが体を水に沈めることで,また新たに十二柱の神が成り出るのである。それらは以下,①ヤソマガツヒから⑫ウワツツノオまでである。
これらの神は,イザナギの身に付けていたものから成った神八柱とは異なり,少ないがその存在意義を示す情報が与えられている。
①ヤソマガツヒ
②オホマガツヒ
この二柱の神は,黄泉国の穢れから生まれた神であるとされる。『古事記』によって与えられた,この神に関する手がかりはこれに限られる。
ヤソマガツヒとオホマガツヒ。黄泉の穢れから生まれたこれら二柱の神は善き神なのか,それとも悪しき神なのだろうか。
『古事記伝』によれば,この世に起こるすべての悪しきことは,黄泉の穢れから生まれると表している。したがって,マガツヒ(禍津日,ヤソマガツヒとオホマガツヒ二柱の総称か)は先の時代の諸々の悪しきことを生み出してきた存在としている。
ヤソマガツヒとオホマガツヒ。黄泉の穢れから生まれたこれら二柱の神は善き神なのか,それとも悪しき神なのだろうか。
『古事記伝』によれば,この世に起こるすべての悪しきことは,黄泉の穢れから生まれると表している。したがって,マガツヒ(禍津日,ヤソマガツヒとオホマガツヒ二柱の総称か)は先の時代の諸々の悪しきことを生み出してきた存在としている。
『古事記伝』の作者,本居宣長の意見を信じるならば,ヤソマガツヒとオホマガツヒは悪しき神ということになる。
③カムナホビ
④オホナホビ
⑤イヅノメ
そして,ヤソマガツヒ,オホマガツヒが生まれた後,カムナホビ,オホナホビ,イヅノメという三柱の神が生まれる。『古事記』はこの三柱の神が黄泉の穢れを治そうとして生まれた神であるとしている。
本居宣長はまた,世の中のすべての善きことは禊(みそぎ)によって起こるとしている。禊とは神道における儀礼のひとつであり,身の汚れを落とす事を目的として,川や海などで体を洗い清めることである。
イザナギが黄泉の穢れを落とそうとして行った身を清める行為もまた,この禊に当たる。
本居宣長は,禊によって生まれたナホビ(直毘神,カムナホビとオホナホビの二柱の総称か)は,世間の諸々の凶悪を善きことに直す神だとした。
たが,ここで気になる点がある。先に紹介した,黄泉の穢れから生まれた悪しき神が二柱であることに対し,それを直すために生まれた善き神が三柱であることだ。
両者は一見すると対を成しているようで,数が異なることに多少の違和感を覚える。ヤソマガツヒとオホマガツヒに対する存在が,カムナホビとオホナホビであるならば自然なのだが,実際はカムナホビ,オホナホビに加えてイヅノメという存在が加わり,二柱と三柱で善悪の対を成しているのである。
このイヅノメには,何か特別な役割があるのだろうか。本居宣長によると,まず黄泉の穢れからヤソマガツヒ,オホマガツヒの悪しき神が成り,次いでそれらの悪を直すためにカムナホビ,オホナホビが成り,それらによって穢れが洗い清められ終えた時にイヅノメが成り出でるとされる。
つまり,この善悪の神は二柱ずつで対を成しており,イズノメは善神によって浄化が終わった時に成り出る神ということになる。善神と悪神が三柱と二柱というアンバランスな構造は,彼の意見に基づけば解消されるのである。
しかし,イヅノメはまだ謎多き神である。そもそも,イヅノメは『古事記』では“伊豆能売”と表される。これに対して,ヤソマガツヒは“八十禍津日神”,オホマガツヒは“大禍津日神”,カムナホビは“神直毘神”,オホナホビは“大直毘神”と表される。
ここから分かるように,なぜかイズノメのみ,名前の最後に“神”の文字が着かないのである。
そもそも,『古事記』における神話に登場する神のほとんどは,名前の最後に“神(かみ)”,“尊(みこと)”もしくは“命(みこと)”という字がついている。それにもかかわらず,イヅノメは,そのどれにも該当しない珍しい存在だ。